本山茶の名付 け親 と いわれ ている のが 、明治・大 正期の 茶農家・築地光太郎。幕末の頃、安倍川の支流である藁科川の上流に位置する清
沢村(現静岡 市清沢相俣)で生まれた彼は、お茶づくりの研究に余念がなく、明治天皇にもお茶を献上するほどの腕前で安倍の茶の評価を高めていきました。
大正6年、光太郎は清沢の地で手塩にかけて育てたお茶に「本山」の名を記しています。彼の生きた時代は、新しい茶産地が続々と生まれていた頃。伝統ある安倍奥の茶を他の茶産地と区別するためにこの名を用いたのでしょう。
光太郎のような熱意ある茶職人を本山の里は多数輩出しています。彼ら先人たちの地道な努力と知恵が、今あるおいしい本山茶を創ってきました。歴史に名を残す偉人ばかりではないけれど、彼らの功績の大きさははかり知れません。
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