茶の集積地静岡    静岡の茶・本山茶
 本山茶の歴史    本山茶の解説

 

 

 

 本 山 茶
 
 ここにしか生まれない香りがあります
本山茶産地の歴史は、安倍川の上流、足久保の地に端を発します。今から800年の昔に生まれた静岡市出身の高僧・聖一国師が中国から持ち帰った茶の種をこの地に蒔いたと伝えられています。そしてそれは、本山茶のみならず静岡県のお茶史の始まりともなりました。その伝承が事実なら、この地を茶栽培の場所に選んだ聖一国師は、見る目があったといえましょう。
 静岡市を縦断する安倍川は、豊富な伏流水をもった水清い急流。その流域を囲む茶産地の山々は、しっとりと山霧を抱き、茶葉に照りつける日差しをやわらげます。また、寒暖の差が大きいこと、土がミネラルをたくさん含んでいることも、茶栽培に向いている理由。
 ここは、大自然が創り出した天然の良質茶産地なのです。香り高い紅茶の産地ダージリンが産地であるように、本山茶の里が生み出すお茶も、ふくよかな香りと深く澄みわたる味わいが身上です。
 
 おいしいお茶は人が育てます
  本山茶の名付 け親 と いわれ ている のが 、明治・大 正期の 茶農家・築地光太郎。幕末の頃、安倍川の支流である藁科川の上流に位置する清 沢村(現静岡 市清沢相俣)で生まれた彼は、お茶づくりの研究に余念がなく、明治天皇にもお茶を献上するほどの腕前で安倍の茶の評価を高めていきました。
大正6年、光太郎は清沢の地で手塩にかけて育てたお茶に「本山」の名を記しています。彼の生きた時代は、新しい茶産地が続々と生まれていた頃。伝統ある安倍奥の茶を他の茶産地と区別するためにこの名を用いたのでしょう。
光太郎のような熱意ある茶職人を本山の里は多数輩出しています。彼ら先人たちの地道な努力と知恵が、今あるおいしい本山茶を創ってきました。歴史に名を残す偉人ばかりではないけれど、彼らの功績の大きさははかり知れません。
 
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