「この通りは、水野藩沼津城の外堀があったところに位置します。 現在の上本通りの西街区前道路と添地との境の裏通りが水野藩時代の道で、 外堀から西側の地域が長屋形式の藩侍住居でした。 その長屋の一棟に移住した旧幕臣は、 明治元年9月、「代戯館」という学校を創めました。 長屋を校舎にして、茣蓙をひき、戸板に墨を塗って黒板とした粗末なものでしたが、 教員は、亀里樗翁、築山正三郎、大平俊章、石川東崖、山内某ら4・5人、 生徒は50〜60人であったという。」